What's 70' NPEC folksong clab
70年代の国際経済大学フォークソングクラブは、私にとって、ある種の逃げ場でした。そのころ、吹き荒れた大学内部のイデオロギー対立、特に生協活動をしていたときの、民青との確執にはほとほと嫌気が注していたので、活動を辞める良い口実となったのが、フォークソング部入部だったのです。(はっきり言うと当時流行していたフォークソングが、好きだという訳ではなかったということです。)
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★ 面白いsiteを見つけました。AmericaのFolk Songに関するsiteです。もちろん英語ですが、懐かしい名前がたくさん並んでました。覗いてみる価値有りですよ。(平成19年2月15日)
★ 私はギルバート・オサリバンのファンでしたので、真っ先にそのofficial site と link しました。(左)
★ 洋楽は今も聞いています。お勧めの internet radio AccuRadio も link しました。(平成18年11月19日)
GUITAR
フォークソング部入部は、大学2年のはじめ頃だったと記憶してます。遅れて入部したので、同級の部員に冷たい眼差しを向けられたのをよく覚えています。
とにかく、楽器が必要になったので、親から預った授業料を使い込んで、YAMAHAの2万円の GUITAR を買い込みました。その後、アルバイトで授業料を稼ぎ、支払ったんですが、結構な苦労でした。
Sound
最初、「13日の金曜日」という変なネーミングの3人編成バンドを組まされました。リーダーは「S」。もう一人のメンバーは「N」で、二人とも私より1歳年上の同級生だったな。
技量は3人とも「へったくそ」。センスも無し。GUITAR握ってりゃ女にもてるだろう、ただ、それだけのバンドだったようです。
時々開催したコンサートでは、いつも屈辱感を味わってました。練習では旨くいってた演奏が本番でいつも無茶苦茶。それの繰り返し。俺たち、マゾヒストだな、といつも感じてました。
後日、私が40歳のとき(性懲りも無く35歳から40歳まで再びバンド活動をしました)、学生時代なぜコンサートで旨く演れなかったか、原因が漸くわかりました。私が持っている小さすぎる「肝っ玉」がそれ(原因)でした。